藤川球児(阪神タイガース)

阪神タイガースで今季神懸かり的活躍をした唯一無二に近い選手と言えばやはり藤川球児しかいない。ただ,その活躍とは別に「あの涙」について考えたい。

「あの涙」とは,8/27の甲子園での讀賣戦でのヒーローインタビューでの涙のことだが,藤川が右肩の痛みと寝違えにより1軍登録抹消明けのことだった。二岡にホームランを打たれたものの,1点差を逃げ切り辛くも勝利。久々のマウンドと観客の温かい声援からの感激かと思ったら実は違ったそうである。

藤川自身,今のポジションと地位を得るきっかけになったのは,2004年にアテネオリンピックに中継ぎとして活躍していた安藤が派遣されて空いたところに彼が入ったことからだそうである。藤川はそこで中継ぎに目覚め,翌年以降のすばらしい活躍の礎にしているわけである。確かに,私も2004年夏以降藤川には個人的に注目していて,2005年ぜひ中継ぎで一年間やってほしいと思ったものである。シーズン登板記録を塗り替えてしまうほどのフル回転と驚異的な成績までは予測できなかったが。

藤川が何を言いたかったかと言うと,自分が登録抹消されていた10日間あまりをチャンスととらえて他の誰かに出てきて欲しかった,というわけである。自分がそうだったように,一軍で空いた席をきっかけに競争が起こって欲しい,そしてそこから自分のようなエースが出てきて欲しいと願っていたそうである。そのチームのふがいなさへの涙がこもっていたというのである。

「あの涙」以降,タイガースは28試合中6試合しか負けていない。実に勝率は7割5分(1引き分けを考慮)。しかしそれとは裏腹に藤川はあの時点である意味優勝をあきらめていたのかもしれない。

確かに,現在の阪神タイガースは常に優勝候補に挙がる常勝軍団になりつつある。しかしその直前には5位になることもままならないような時代が続いた。藤川はそのどちらも知っている選手であり,また個人的にもかなり苦しんだ選手人生を歩んでいた。このチームには競争意識が薄れている。このままベテランに頼り切るのではなく二軍から積極的に名乗りを挙げて欲しいというメッセージがあの涙にはあったのである。

オフシーズンに入り,注目度がますます増した藤川は不用意ともとれるような発言をしているようである。井川が抜けたチームでは優勝はとても無理だろう,などなど一選手としては本音が出過ぎている部分もある。こういう投手がただのわがままで終わらずにチームを引っ張る意味でそういった発言で鼓舞していくことができれば強いチームとしていられるかもしれないが,その逆もあるかもしれない。2007年は戦い方も変わってきて藤川自身のポジションも変わるかも知れないが,まずはマウンドで物語って欲しいものである。